円楯。という生存戦略

昔は、強くなることは攻めることだと思っていた。

前へ出ること。
勝つこと。
多く持つこと。
より高く、より遠くへ行くこと。
そういう方向に、強さがあるのだと思っていた。

でも僕は、
ずっと攻め続けられる人間ではなかった。

途中で足るを決める。
引くこともある。
止まることもある。
守ることも必要になる。

だから今は、
強さは攻める力より、
守れる力にあると思っている。

正確には、
守りながら、じっくり攻めていく力だ。

僕はその感覚を、
円楯。という言葉で持っている。

円楯。は、
肉体と精神の安定を守る為の盾。だ。

ただ身を守るだけではない。
崩れにくく生きる為の土台を守る盾。だと思っている。

暮らし。の中で言えば、
生活防衛費も、
持ち物の精鋭化も、
空白。のある予定も、
全部この盾。につながっている。

大きく勝つためではない。
静かに崩れないために整える。

僕が円楯。という言葉を好きなのは、
それが派手な武器ではないからだ。

前へ出るためではなく、
ちゃんと生き残るための道具。
暮らしにおいて、
僕の最強の武器は盾だ。

この盾。は、
ただ厚ければいいわけじゃない。

今の自分の体に
ちゃんとフィットしているか。
重くなりすぎていないか。
守れているか。
日々探りながら持つものだと思っている。

重すぎる盾。は、
守りにはなっても、
動きを鈍らせる。
暮らしそのものを
疲れさせてしまうこともある。

だから僕は、
必要を決める。
そして、あまりは分身。へ流す。

手元に抱え込みすぎず、
未来の自分を支える側へ回していく。

お金。は、
僕にとって絶対に大切なものだ。
たぶん、かなり好きでもある。

でも、
その大切さを曖昧なままにしておくと、
人は苦しくなるのだと思う。

いくら貯めようか。
いくら稼げるようになりたいか。
そう考え始めると、
終わりがなくなる。

だから僕は、
いくら持つか。
自分が生きるにはいくら必要か。
まず、そこを決める。

その必要量を、
円楯。として持つ。

無限に増やす為ではなく、
自分を守る為に必要な厚みだけ持つ。
だから軽い。

余りは抱え込まない。
設計。に従って、
分身。へ流していく。

生活費を見つめ直すことは、
ただ家計を確認することではない。
僕にとっては、
観測。であり、
足るを知り、足るを決めることの一つでもある。

もちろん、
その金額は人によって違う。
低ければ良いわけではないし、
高くてもいい。

大事なのは、
自分がどう暮らしたいか。を
観測。し続けることだと思う。

そして、それをするには、
散歩。できるくらいの余裕がいる。

余暇。や空白。がなければ、
観測。はだんだん荒れていく。
自分で決める前に、
焦りや不足感に押されてしまう。

だから円楯。の先には、
余暇。や整備。や鍛錬。が連なる。

守れたから、余暇。が生まれる。
守り続ける為に、整備。がいる。
守れる自分でいる為に、鍛錬。がいる。

こうして円卓。はつながっている。

一巡すれば終わり、ではない。
静かに、ゆっくりでもいいから、
回し続けることが大事なのだと思う。

回すのは、納得。だ。
そして、途中。の循環。でいい。

乱れてもいい。
整えればいい。

むしろ、
乱れないことを目指しすぎると、
生きることは苦しくなる。

違和感がある。
疲れる。
重くなる。
ズレる。

そうやって乱れるからこそ、
観測。できる。
整え直す理由が生まれる。

だから僕は、
乱れを失敗だとは思わない。

乱れるから整えられる。
そして整えたあとも、
また途中。へ戻っていけばいい。

道は平らではない。
凸凹道だからこそ、
常にバランスを意識して生きる必要がある。

世界は揺れる。
お金。も、仕事。も、
体調。も、心。も、
ずっと同じではいてくれない。

だから大事なのは、
揺れない世界を求めることではなく、
揺れる前提で自分の基準を持つことだと思う。

変数。をなくすことはできない。
生きている限り、
変数。は常にある。

でも大事なのは、
その変数。を、
ずっと意識し続けなくてもいい状態に
置けるかどうかだと思う。

必要な量を決める。
持ち方を決める。
流し先を決める。

そうやって一度、
納得。で定めたものは、
少しずつ無意識化していける。

すると、
全部を抱えて考え続けなくて済む。
本当に意識を向けたいものに、
意識を残せるようになる。

たぶん整う。とは、
変数。が消えた状態ではなく、
変数。との付き合い方が
整っている状態なのだと思う。

仕事。も同じだ。

仕事。における円楯。は、
どこまで引き受けるか。を
自分で定めることだと思う。

どこまで働くか。
どこまで背負うか。
どこから先は引き受けないか。

それを曖昧にすると、
仕事。はどこまでも入り込んでくる。
時間。も、体力。も、心。も、
気づけば仕事。に食われていく。

だから僕は、
働くことそのものを否定したいわけではない。
ただ、
壊れるまで引き受ける働き方はしたくない。

暮らし。の根っこは、
やはりお金。に繋がっていると思う。

この資本主義社会で生きる以上、
お金。は切り離せない。
住むことも、
食べることも、
休むことも、
働くことも、
全部どこかでお金。に触れている。

だから仕事。の円楯。も、
根っこではお金。に繋がっている。

足るを決めて、
自分に必要なお金。を
知り、定めているからこそ、
理不尽を断ることができる。

僕は、
現職。を今日やめてもいい。
そう考えて働いている。

もちろん、
本当に衝動で投げ出したいわけではない。
でも、
いつでも離れられる。という感覚があるから、
筋の通っていない依頼を断ることができる。

引き受ける時も、
そのまま飲み込むのではなく、
必要なら交渉できる。

それは強気だからではない。
円楯。があるからだと思う。

最大のパフォーマンス。を出せるのも、
自分で働く枠を決めているからだ。

この曜日の、何時から何時まで働くか。
どこまで引き受けるか。
いつまでに終えるか。
そこをなるべく自分で決められる形にしている。

だから、
仕事量も、
完了までのスケジュールも、
全体をコントロールしやすい。

その守りがあるから、
目の前の通常業務を、
淡々と、卒なく、高いクオリティでこなせる。

僕にとって円楯。は、
ただ断る為の盾ではない。
安定して力を出す為の盾。でもある。

じゃあ、なぜ事業をしないのか。
そういう問いもあると思う。

実際、僕もやってみた。
でも途中で、
これ、会社員でいいのではないか。と思った。

もちろん、
やってみたこと自体は無駄じゃなかった。
事業者としての目線も得られたし、
帳簿をつけた経験から、
家計簿やお金。についても
考え直すきっかけになった。

ただ、
めちゃくちゃ稼ぎたいならともかく、
僕の必要量なら、
無理に事業へ振らなくてもよかった。

むしろ、
雇用の方が安定する。
僕にはその方が、
暮らし。を守りやすかった。

だから僕にとって事業。は、
最初から目指すものではない。

お金になるからやる、ではなく、
やってみたいをやっていたら、
結果として事業になった。
そのくらいの距離感が、
ちょうどいいのだと思う。

仕事。の両輪。は、
あるといいなと思っている。

だから、
キャッシュポイントの設計は
いつもどこかで考えている。

時々は、
そちらへ大きく動くこともある。
でも、
考えすぎると少しずつズレていく。

何を書きたいか。より先に、
何が売れるか。が立ち始めるからだと思う。

だから僕は、
観測。したり、
整備。したりしながら、
また戻ってくる。

そして今は、
とりあえず、
書きたいことを書いていけばいい。
そこに戻ってきている。

円楯。は、
守るための思想だ。
でも、
ただ縮こまるための守りではない。

守ることで、
余白。が生まれる。
守ることで、
選べるようになる。
守ることで、
本当にやりたいことに
力を使えるようになる。

前へ出るためだけの武器ではなく、
ちゃんと生き残るための道具。

僕はこの盾。を育てながら、
この盾。を持って暮らしていく為の
肉体と精神を、
日々整えている。

暮らしにおいて、
僕の最強の武器は盾だ。