僕は、何事も自分なりの考えを持って決めたい。
何を選ぶか。
何を選ばないか。
たとえ誰かと同じ選択をするとしても、
考えた末に選ぶのと、
なんとなく流されて選ぶのとでは違うと思っている。
選択には、その先がある。
だから僕にとって、
決めることと納得することは近い。
途中。とは、現時点での納得を残すこと。
僕が使う「途中。」には、
未完成という意味だけを込めているわけではない。
むしろ一度、決める。
今の知識。
今までの経験。
今いる環境。
今の自分。
それらを材料に考えて、
今の僕は、ここまでなら納得できる。
という地点まで進む。
そして、そこに「。」を打つ。
だから、
「途中」
ではなく、
「途中。」
なのだと思う。
まだ決めていないから途中なのではない。
現時点では一度決めた上で、
それでも人生は続いていくから、途中。
そんな感覚に近い。
納得の楔。
僕は、この「。」を、
納得の楔。
と考えている。
ゲームでいうセーブポイントのようなものだ。
ここまで考えた。
ここまで歩いた。
ここで一度決めた。
その地点を保存しておく。
セーブしたからといって、
ゲームが終わるわけではない。
その地点から、
また先へ進むためにセーブする。
暮らしも似ていると思う。
一つ納得したら終わりではなく、
そこからまた経験が増え、
考えが変わり、
次の納得へ進んでいく。
「。」は終点ではない。
次へ進むために打つ楔だ。
納得できない。と納得する。
もちろん、
何事にも納得できるわけではない。
特に社会や組織の中で暮らしていれば、
自分では納得できなくても、
従わなければならない場面はある。
会社の方針だったり、
決められたルールだったり、
自分だけでは変えられない事情だったり。
そんな時まで、
無理に納得する必要はないと思っている。
僕なら、
納得できない。
と納得する。
その上で、
今は従う。
今は受け入れる。
今は別の方法を選ぶ。
と決めればいい。
大切なのは、
従ったことを自分の考えだったことにしてしまわないことだと思う。
考えた上で従うのと、
考えることをやめて流されるのとでは違う。
行動は同じでも、
自分の中に残るものは違う。
納得。にも固まる危うさがある。
ただ、
納得できればそれでいいとも思っていない。
納得。は、
自分の選択を引き受けるために必要だけれど、
凝り固まれば、
今度はそれ自体が進歩や発展を妨げることもある。
以前は納得していた。
でも、今は違う。
そんなことは普通にある。
経験は増える。
環境も変わる。
価値観も少しずつ変わっていく。
それなのに、
一度決めたから。
昔そう言ったから。
自分はこういう人間だから。
と過去の納得に縛られてしまえば、
自分で打った楔が、
今度は自分を縛る杭になってしまう。
だから僕は、
納得。だけではなく、
途中。として残したい。
**現時点では決める。
でも、未来の自分まで決めつけない。**
この余白が、
変わり行き、移り行く日常を暮らす上での
柔軟性になるのだと思う。
過去・現在・未来の自分を観測する。
途中。を残しておくと、
過去の自分を観測できる。
あの時は、
こう考えていた。
こういう理由で選んだ。
ここまでは納得していた。
今読み返せば、
考えが変わっていることもある。
でも、それでいい。
今の自分から見れば未熟に見える考えでも、
当時の自分には当時の材料しかなかった。
だから、
過去の自分を正解か不正解かだけで裁くのではなく、
そこから何が変わったのか。
を見る。
過去の途中。と、
現在の途中。を見比べることで、
自分がどう歩いてきたのかが見えてくる。
そして現在の途中。は、
未来の自分が振り返るための地点にもなる。
記録することが、そのまま思考になる。
だから僕は、
考えたことを残しておきたい。
記録は、
出来事を保存するためだけのものではない。
書こうとすると、
自分は本当にそう思っているのか。
なぜそうしたのか。
何には納得していて、
何には納得していないのか。
そんな問いが自然に生まれる。
曖昧だったものに言葉を与えることで、
自分の現在地が少し見える。
僕にとって記録することは、
思考の結果を残す行為であると同時に、
記録すること自体が、思考することでもある。
習慣は、戻るためにある。
暮らしていれば、
考えも生活も乱れる。
決めた通りにできない日もあるし、
何を大切にしていたのか見失うこともある。
だから僕は、
習慣も自分を縛る規則ではなく、
戻るための目印として考えている。
以前の自分が納得して作った習慣があれば、
迷った時にそこへ戻れる。
もし戻ってみて、
もう違うと思えば変えればいい。
習慣もまた、
完成された正解ではない。
現時点での納得を、
暮らしの中に置いておく方法の一つなのだと思う。
途中。から始まり、途中。で続く。
人生には、
最後まで分からないことの方が多いのかもしれない。
それでも、
ずっと保留したまま生きるわけにはいかない。
その時々で考える。
選ぶ。
決める。
そして、
ここまでは納得した。
と「。」を打つ。
しばらく歩いたら、
また自分の現在地を観測する。
違えば変える。
まだ納得できるなら、そのまま進む。
納得できないなら、
納得できない。と認めて考え続ける。
そうやって、
納得の楔。を一つずつ打ちながら進んでいく。
完成を目指しているというより、
その時々の自分を置き去りにせず歩いていきたい。
だから僕の暮らしは、
途中。から始まり、
途中。で続いていく。