僕は、暮らし。を守るための仕組みを「円楯。」と呼んでいる。
名前の由来は、キャプテン・アメリカが持つ丸い盾だ。
ビブラニウムで作られた、強固でありながら軽量な盾。
守るだけではなく、投げたり、押し返したり、武器として使ったりもできる。
スパルタ人が使っていたアスピスやホプロンのような円形の盾も、頭の中にはあった。
僕が欲しいのは、巨大で重たい盾ではない。
守りを固めるために、身動きが取れなくなるような盾でもない。
軽くて、強くて、普段の行動を邪魔しない。
それでいて、必要な時には確かに自分を守ってくれる。
円楯。とは、そんな盾を暮らしの中に持つための思想だ。
自由。を守る。
円楯。が守っているものは、暮らし。そのものというより、僕自身の自由。なのだと思う。
自由。があるから、暮らし。について考えることができる。
どう働くか。
何を持つか。
何にお金を使うか。
何を食べるか。
何をして遊ぶか。
どんな一日を過ごしたいか。
こうしたことを、自分で丁寧に選べる。
自由。がなければ、暮らし。は自分で選ぶものではなく、ただ流れていくものになりやすい。
僕自身、会社員として仕事に忙殺されていた頃は、今のようなことをほとんど考えていなかった。
仕事をして、疲れて帰って、寝て、また仕事へ行く。
暮らし。について考える前に、一日が終わっていく。
足る。を知る余裕もなければ、途中。を刻む余裕もない。
余暇。も、余白。も少ない。
焦りや不安が増えれば、目の前のことを処理するだけで精一杯になる。
だから僕にとって自由。とは、好き勝手に何でもできることではない。
自分の暮らし。を、自分で考えて選べる状態。
それに近い。
円楯。は、その状態を守るための盾だ。
重たい盾はいらない。
守りは、強ければ強いほど良いわけではない。
将来が不安だからと、必要以上に現金を抱える。
何かあった時のために、保険を何重にも掛ける。
災害が怖いから、大量の防災用品を持つ。
健康を守るために、食事も運動も睡眠も細かく管理する。
どれも守りを強くする方法ではある。
けれど、その守り自体が暮らしを圧迫し始めれば、本末転倒だと思う。
守るためにお金が必要になりすぎる。
守るために物が増える。
守るために時間を使う。
守るために神経をすり減らす。
それでは盾が重すぎる。
僕が持ちたいのは、もっと軽い盾だ。
必要以上に大きくない。
必要以上に複雑ではない。
それでも、必要な時には十分に強い。
暮らしを重くせずに、暮らしを守る。
そのくらいが良い。
ポテンシャルの高い盾。
僕は、盾という道具はかなりポテンシャルが高いと思っている。
守る。
押す。
弾く。
間合いを作る。
道を開く。
場合によっては武器にもなる。
ゾンビ映画などでよく登場するバールにも、少し似た魅力を感じる。
一つの用途だけに特化しているのではなく、状況に応じて役割を変えられる。
僕が円楯。に求めているのも、このポテンシャルの高さだ。
例えば現金は、ただ銀行口座に置いておくだけなら数字でしかない。
でも必要になれば、生活費にもなるし、休む時間にもなるし、嫌な環境から離れるための資金にもなる。
健康もそうだ。
病気を防ぐためだけではない。
歩くためにも、働くためにも、遊ぶためにも、旅をするためにも使える。
キャンプ道具も、余暇。の道具でありながら、災害時には生活を支える道具になる。
労働も、生活費を稼ぐだけではなく、社会との接点や信用を維持する役割も持つ。
一つの役割だけでは終わらない。
守りながら、必要なら前へ進む力にもなる。
そんなものを僕は好む。
余力を残す。
円楯。を考える時、僕は余力をかなり大切にしている。
お金を全部使わない。
時間を全部埋めない。
体力を全部使い切らない。
仕事も常に限界まで頑張らない。
防災用品も、必要量ぎりぎりではなく少し余白を持つ。
暮らしのあらゆるところに、少しだけ余力を残しておく。
その余力は、普段は使われない。
だから一見すると無駄にも見える。
でも、何かが起きた時には、その余りが盾になる。
仕事が忙しくなれば、普段使っていなかった処理能力を使える。
急な出費があれば、現金を使える。
体調を崩せば、休める。
災害が起きれば、備蓄を使える。
誰かが困っていれば、余っている力を他者へ使うこともできる。
僕は独身なので、現段階では円楯。の設計は基本的に自分一人を基準にしている。
必要以上に他人まで内包しない。
僕が意識しているのは、影響の輪。だ。
自分が実際に動かせる範囲をまず整える。
そのうえで、ぎりぎりまで使い切らずに余白を残す。
その余白が、自分の余裕にもなるし、必要なら他者を守るためにも使える。
盾は自分が持つ。
でも、その盾で守れるのは自分だけとは限らない。
そのくらいの距離感が、僕にはちょうどいい。
設計。精鋭。鍛錬。円楯。
円楯。は単独で存在しているわけではない。
僕の中では、設計。精鋭。鍛錬。円楯。の四つがよく連携している。
設計。で無駄を減らし、仕組みを整える。
精鋭。で、暮らしに入れる物やサービスを選ぶ。
鍛錬。で、自分自身の基礎能力を高める。
円楯。で、その結果として得られた自由。を守る。
例えば防災なら、
必要量を設計。する。
道具を精鋭。化する。
使えるように鍛錬。する。
そして非常時には円楯。として働く。
働き方も同じだ。
必要な収入と労働時間を設計。する。
仕事の道具や方法を精鋭。化する。
短時間でも価値を出せるように鍛錬。する。
そして雇用を生活防衛として残すことで、円楯。になる。
それぞれ独立して働くこともある。
互いを補完することもある。
複数が同時に連携することもある。
僕の思想。は、一直線に並んでいるというより、循環。しているのだと思う。
自由。が、暮らし。を選べるものにする。
設計。精鋭。鍛錬。円楯。
これらを使って自由。を作り、その自由。を守る。
すると、暮らし。について考える余裕が生まれる。
途中。を刻める。
知足。について考えられる。
余暇。を楽しめる。
そして、そこで得た納得。がまた設計。へ戻っていく。
知足。が深まれば、必要なものが減る。
必要なものが減れば、精鋭。化しやすくなる。
暮らしが軽くなれば、必要な労働も減る。
自由。が増えれば、さらに暮らし。について考えられる。
そうやって循環していく。
僕にとって暮らし。とは、本来ただ流れていくものではないのだと思う。
一つずつ、自分で丁寧に選んでいけるものだ。
そのためには、まず選べるだけの自由。が必要になる。
そして、その自由。は放っておけば簡単に削られる。
お金。
仕事。
病気。
疲労。
災害。
不安。
想定外はいくらでも起こる。
それらを完全になくすことはできない。
だから、なくそうとはしない。
代わりに、
何かが飛んできても、自分の自由。まで簡単には届かないようにしておく。
軽く。
強く。
余白を残して。
必要なら守りだけでなく、前へ進む力にも変えられる。
そんな円い盾を一枚持って、僕は暮らしていきたい。