人生。|人生を散歩する。

僕は、人生の正解を知らない。

良い人生とは何か。
死ぬ時に何を思うのか。
人生に意味があるのか。

考えることはあるけれど、今の僕には分からない。

そして、分からないものを分かったことにしてまで、答えを置こうとは思っていない。

完璧。や完成。についても同じだ。

何をもって完成なのか。
何をもって完璧なのか。

僕には分からない。

だから僕は、不完全であることを前提にしている。

その上で、それでも昨日より今日、今日より明日と、少しでもより良い方を考えながら生きていきたいと思っている。

自分の人生の代わりはいない。

組織に属して働いていれば、自分も歯車の一つになる。

それ自体は悪いことではないと思っている。

僕も仕事をする以上、自分の役割を果たしたいし、この人がいれば安心だ。と思ってもらえる仕事はしたい。

ただし、自分がいなければ何も回らない状態を作ることには慎重でいたい。

僕にしかできないこと。
僕しかやらないこと。

そうしたものは、可能な限り誰でもできるところまで簡易化しておいた方がいいと思っている。

属人化は価値になることもあるけれど、同時に組織にとっての急所にもなる。

そして何より、自分自身がそこに縛られることにもなる。

人手不足だからと、休みの日に出勤することを求められる場面もある。

僕は同僚から相談された時、いつも同じように答えている。

働きたいと思うなら働けばいい。
休みたいなら休めばいい。
予定があるなら、その予定を優先していい。

今日という日は、その日しかないからだ。

もちろん、本当に緊急事態なら話は変わる。

自分の雇用環境を守る意味でも、一時的に人肌脱ぐくらいの仁義はあっていいと思っているし、僕もそうするだろう。

でも、それが常態化するなら、個人の善意ではなく体制を見直すべきだと思う。

誰かが壊れるまで頑張り続けても、その人が離脱すれば組織は代わりを補充する。

組織としては当然のことなのかもしれない。

でも、本人が失った時間や健康まで補充されるわけではない。

僕の代わりはいる。

でも、僕の人生の代わりはいない。

だから僕は、歯車である自分と、人生を生きている自分を混同しないようにしている。

自分で扱える時間を増やす。

僕にとって自由とは、何でもできることではない。

自分で選べることだと思っている。

働く。
休む。
散歩する。
本を読む。
ギターを弾く。
誰かと過ごす。
何もしない。

その時、自分が何をするかを自分で選べる。

だから僕は、自分で扱える時間を増やしたい。

一日は二十四時間しかないし、人生そのものにも終わりがある。

その長さを正確に知ることはできない。

だからこそ、僕は自分の時間を必要以上に他人や組織へ預けたくない。

これは、自分のためだけに時間を使いたいという意味ではない。

僕は、誰かのために時間を使うこともある。

ただし、それも自分で選びたい。

この人と時間を過ごしたい。
この人のためなら時間を使いたい。

そう思って使った時間なら、それは奪われた時間ではなく、自分で選んで使った時間になる。

誰と時間を重ねるかも、人生の選択の一つなのだと思う。

納得できる方を選ぶ。

僕は、なるべく後悔したくない。

だから、選択。や納得。を大事にしているのだと思う。

自分で考えて、自分で決めたことなら、結果として失敗したとしても後悔は少ない。

もちろん、いつも自分の納得だけを優先できるわけではない。

自分一人の問題なら、僕は納得。を優先すると思う。

世間的に正しいとされる生き方と、自分が納得できる生き方が違うなら、自分が納得できる方を選びたい。

一方で、組織や他者との関係では、正しさを優先することもある。

波風を立てないために、自分の考えとは違う方を選ぶこともあるだろう。

ただ、その時も、

納得して選ぶ。

ということは大事にしたい。

納得できないと納得した上で、その選択をする。

そして一つの経験として覚えておく。

後になって、あれで良かったと思うこともあるかもしれない。

最後まで納得できないままのこともあるかもしれない。

それでもいい。

納得。は、一度決めたら変えてはいけない答えではない。

その時々で更新されていくものだと思っている。

選ばないものは、除外する。

人生には、できることより、できないことの方が多い。

すべてを選ぶことはできない。

だから僕は、諦めることをそれほど悪いことだとは思っていない。

僕にとって諦めることは、除外することに近い。

これは、自分の人生では選ばない。

そう納得できたものは、そもそも考えなくなる。

未練として抱え続けない。

人生を扱いやすくするためには、何を選ぶかと同じくらい、何を選ばないかを決めることも大事なのだと思う。

分からないものは、分からないままにする。

死について考えることがある。

でも、死が怖いかと聞かれると、今の僕には分からない。

実際に余命を告げられた時。
死を身近に感じる環境に置かれた時。

その時になって初めて分かることもあるのだと思う。

ただ、いつか死ぬことだけは分かっている。

だから、できることはしておきたい。

過去から学ぶ。

今を生きる。

未来に最低限備える。

それ以上は、分からないものを無理に知ろうとしなくていいと思っている。

人生の意味についても同じだ。

人生には意味が必要なのか。

今の僕は、別になくてもいいと思っている。

むしろ、それを生涯かけて考えていく過程そのものが、人生の意味になるのかもしれない。

僕には、世界を変えたいというような大義はない。

何かを永久に残したいとも思っていない。

そもそも永久に残るものなど、ほとんどない。

だから僕が文章を残しているのも、使命というより記録に近い。

自分の考えを、自分が後から読めるように置いておく。

僕はそれを、自分図書館。のように考えている。

自分のために本を並べておく。

ただし、扉は閉じない。

興味のある人が来て、読んでもいい。

借りて、自分なりに持ち帰ってもいい。

興味がなければ、来なくてもいい。

僕は僕の暮らしを記録しておく。

それで十分だと思っている。

人生を散歩する。

僕は、人生を完成させたいわけではない。

完璧に生きたいわけでもない。

そもそも、それが何なのか分からない。

だから、不完全であることを前提にする。

その上で、自分で扱える時間を少しでも増やして、納得できる選択を積み重ねながら生きていきたい。

人生は、目的地へ一直線に向かう旅というより、僕には散歩に近い。

途中で道を変えてもいい。

立ち止まってもいい。

寄り道してもいい。

昨日とは違う方向へ歩いてもいい。

ただ、自分の足で歩いていたい。

いつか人生が終わる時、

良い人生だった。

そう思えたらいい。

でも、それが分かるのは、その時になってからなのだと思う。

だから今は、答えを急がない。

不完全なまま、それでもより良いを考えながら歩いていく。

僕の人生は、きっと最後まで途中。だ。