日記。|とある日の、考えごとの途中。

初稿:2026年10月1日
この日記。について。

この日記。には、いつも最新の一篇だけを置いています。

新しい日記。を書くと、前の一篇はこのページから切り取ります。

切り取った頁は捨てずに、そのときの文章のまま「手紙。」として送り出し、残しています。


日記。

僕は、日記。を書いている。

といっても、毎日の出来事を時系列に並べて残しているわけではない。

何かを考えた日。
何かに気づいた日。
誰かとの会話や、本や映画や散歩の途中で、ふと考えごとが始まった日。

そんな日の思考を、ひとつの文章として書いている。

だから僕にとって日記。は、出来事の記録というより、その時点の僕。の記録に近い。

私的な文章を書く。

日記。は、基本的には自分のために書いている。

誰かに何かを教えるためでもないし、正しい答えを提示するためでもない。

僕にはこう見えた。
僕はこう感じた。
今のところ、こう考えている。

そんな自分の中にあるものを、言葉にして確認する。

もちろん外に置く以上、読める文章には整える。

他者のプライバシーには配慮するし、外に出すべきではないことは書かない。

けれど、それは日記。に限った話ではない。

僕が外へ出す文章すべてに共通する作法だと思っている。

整えてはいるけれど、日記。そのものはあくまで私的な文章だ。

一頁だけを開いておく。

この日記。には、いつも最新の一篇しか置かない。

新しい日記。を書いたら、前の一篇はこの場所からなくなる。

僕の中では、それを「上書きする」というより、日記帳から一頁を切り取るような感覚で捉えている。

日記帳を開けば、そこにはいつも今の一頁がある。

過去の頁を何冊分も並べておく必要はない。

僕がいま何を考えているのか。

この場所には、それだけあればいい。

頁を切り取る。

新しい一頁を書くために、古い頁を切り取る。

だからといって、その頁を捨てるわけではない。

書いたものも、そのとき考えていたことも、その時点では確かに僕。だった。

あとから考えが変わることもある。

今なら違う言葉を使うこともある。

それでも、そのときに書いた言葉を、あとから都合よく書き換えたいとは思わない。

日記。として書いた文章は、原則としてそのまま残す。

その頁を切り取って、次の場所へ送り出す。

手紙。にする。

切り取った日記。は、「手紙。」として送り出している。

誰か一人に宛てて書き直すわけではない。

日記帳から切り取った頁を、そのまま封筒に入れて外へ出す。

そんな感覚に近い。

誰かが読むかもしれない。

誰にも読まれないかもしれない。

それでもいい。

日記。を書いた時点で、その文章の役目は一度果たしているからだ。

僕が考えたことを、僕自身が言葉にできた。

それでまず十分だと思っている。

いまを書く。

僕のサイトは、完成した答えを並べる場所ではない。

暮らしながら考え、選び、試し、その時点での納得を書いていく場所だ。

だから日記。も完成品ではない。

途中。にいる僕。が、ある日に書いた一頁だ。

次の日には、もう少し違うことを考えているかもしれない。

数年後には、まったく違う場所に立っているかもしれない。

それでいい。

日記。には、いまの僕。を書く。

新しい一頁を書きたくなったら、前の頁を切り取る。

そして、その頁を手紙。として静かに送り出す。

僕は、そんなふうに日記。を書いている。