この日記。について。
この日記。には、いつも最新の一篇だけを置いています。
新しい日記。を書くと、前の一篇はこのページから切り取ります。
切り取った頁は捨てずに、そのときの文章のまま「手紙。」として送り出し、残しています。
日記。
僕は、日記。を書いている。
といっても、毎日の出来事を時系列に並べて残しているわけではない。
何かを考えた日。
何かに気づいた日。
誰かとの会話や、本や映画や散歩の途中で、ふと考えごとが始まった日。
そんな日の思考を、ひとつの文章として書いている。
だから僕にとって日記。は、出来事の記録というより、その時点の僕。の記録に近い。
私的な文章を書く。
日記。は、基本的には自分のために書いている。
誰かに何かを教えるためでもないし、正しい答えを提示するためでもない。
僕にはこう見えた。
僕はこう感じた。
今のところ、こう考えている。
そんな自分の中にあるものを、言葉にして確認する。
もちろん外に置く以上、読める文章には整える。
他者のプライバシーには配慮するし、外に出すべきではないことは書かない。
けれど、それは日記。に限った話ではない。
僕が外へ出す文章すべてに共通する作法だと思っている。
整えてはいるけれど、日記。そのものはあくまで私的な文章だ。
一頁だけを開いておく。
この日記。には、いつも最新の一篇しか置かない。
新しい日記。を書いたら、前の一篇はこの場所からなくなる。
僕の中では、それを「上書きする」というより、日記帳から一頁を切り取るような感覚で捉えている。
日記帳を開けば、そこにはいつも今の一頁がある。
過去の頁を何冊分も並べておく必要はない。
僕がいま何を考えているのか。
この場所には、それだけあればいい。
頁を切り取る。
新しい一頁を書くために、古い頁を切り取る。
だからといって、その頁を捨てるわけではない。
書いたものも、そのとき考えていたことも、その時点では確かに僕。だった。
あとから考えが変わることもある。
今なら違う言葉を使うこともある。
それでも、そのときに書いた言葉を、あとから都合よく書き換えたいとは思わない。
日記。として書いた文章は、原則としてそのまま残す。
その頁を切り取って、次の場所へ送り出す。
手紙。にする。
切り取った日記。は、「手紙。」として送り出している。
誰か一人に宛てて書き直すわけではない。
日記帳から切り取った頁を、そのまま封筒に入れて外へ出す。
そんな感覚に近い。
誰かが読むかもしれない。
誰にも読まれないかもしれない。
それでもいい。
日記。を書いた時点で、その文章の役目は一度果たしているからだ。
僕が考えたことを、僕自身が言葉にできた。
それでまず十分だと思っている。
いまを書く。
僕のサイトは、完成した答えを並べる場所ではない。
暮らしながら考え、選び、試し、その時点での納得を書いていく場所だ。
だから日記。も完成品ではない。
途中。にいる僕。が、ある日に書いた一頁だ。
次の日には、もう少し違うことを考えているかもしれない。
数年後には、まったく違う場所に立っているかもしれない。
それでいい。
日記。には、いまの僕。を書く。
新しい一頁を書きたくなったら、前の頁を切り取る。
そして、その頁を手紙。として静かに送り出す。
僕は、そんなふうに日記。を書いている。