今日は、円楯。のことを書こうとしていた。
でも書いているうちに、
これは円楯。だけの話ではないなと思った。
守ること。
お金。のこと。
働き方。のこと。
乱れ。と整う。のこと。
関心の輪。と影響の輪。のこと。
気づけば、
途中哲学。全体の話になっていた。
その流れで見えてきたのは、
円卓。は順番に回すものではなく、
暮らし。を支える役割たちが、
必要に応じて動いている形なのかもしれない、
ということだった。
納得。だけは中心にある。
でも、それ以外は
順番でも序列でもなく、
その時々で前に出る役割。なのだと思った。
さらに考えていくうちに、
途中哲学。は、
暮らし。を構成する要素それぞれの思想。
として見えてきた。
決めること。
進むこと。
気づくこと。
持ち物。
お金。
時間。
精神。
肉体。
整えること。
全体を回すこと。
その話をしながら、
関心の輪。は消えないよね、
という話にもなった。
社会にいても、
ひとりでいても、
Webを閉じても、
自然の中にいても、
外側にはずっと何かがある。
だから大事なのは、
関心の輪。を消すことではなく、
その中で自分の軸。を失わないことなのだと思った。
そして結局、
完全に整う。は一生ないのだと思う。
整ったと思ったら、
また別の乱れが出てくる。
だから生きることは、
乱れ。と整う。を繰り返すことなのだと思う。
ここまで考えて、
ふと、
そもそもエッセイにしようとしすぎていたのかもしれない、
と思った。
少し固いし、
少し長い。
そんなに大層なことでもない。
でも普段のこの雑談。を見ていると、
もうこれ自体が日記。だった。
その日の揺れ。
観測。したこと。
引っかかり。
納得。したこと。
途中。を打った場所。
全部ここにある。
だから、
まずは日記。として残していこうと思った。
思想。は固定ページで育てる。
投稿は日記。にする。
日記。を蓄積して、
あとから必要なものだけ
エッセイ。や書籍。にしていく。
今日は、
円楯。を書こうとして、
途中哲学。と発信の形を
見直す日になった。
やっぱり、
本体は日記。なのだと思う。