僕は黒い服が好きだ。
トップスも黒。
ボトムスも黒。
アウターも黒。
気がつけば、ほとんど全身黒になっていた。
自分では気に入っている。
ただ、少々困った相手がいる。
スズメバチだ。
蜂は黒いものに警戒や攻撃を向けやすいと聞く。
つまり、僕の好きな服装は、スズメバチとの相性があまりよくないらしい。
困った。
できれば仲良くしたいのだけれど。
いや。
別に仲良くしなくてもいい。
お互い、平穏に暮らせれば十分だ。
夏が来る。
春から初夏にかけて、街中で妙に大きなスズメバチを見かけることがある。
一匹で飛んでいる、やたらと立派な個体だ。
女王蜂なのだろうか。
正確な種類や役割までは分からないけれど、見かけると少し季節の変化を感じる。
ああ。
そろそろ夏が来るんだな。
そして、進行方向を確認する。
できれば、そちらには来ないでいただきたい。
僕は蜂が嫌いではない。
むしろ、結構好きだ。
身体の形も格好いいし、生態も面白い。
大きな身体で飛んでいる姿には、何となく見入ってしまう。
とはいえ、見入っている場合ではない。
あちらはスズメバチである。
僕が勝手に好意を抱いているからといって、向こうが好意的に接してくれる保証はない。
小さい頃、蜂に刺されたことがある。
何という種類だったのかは覚えていない。
ただ、蜂は刺す生き物なのだということは、身をもって知っている。
だから、好きでも近づかない。
興味があっても触らない。
見かけたら、そっと距離を取る。
それが僕なりの付き合い方だ。
好きなものが、安全とは限らない。
『ONE PIECE』のゾロが、絶対に人を噛まないと保証できる猛獣なんているのか、という話をしていたことがある。
僕も、そんな猛獣には出会ったことがない。
犬でも猫でも、普段は大人しくても、状況によっては噛むことがある。
蜂も同じだと思う。
クマバチなどは、見た目の迫力に反して温厚だと聞く。
ホバリングしている雄には針がないことも知っている。
だからといって、目の前を飛んでいる蜂を何でも安全だと判断するつもりはない。
相手が何者なのか分からなければ、距離を取ればいい。
好きな生き物なら、なおさらだ。
僕の好奇心に付き合わせる必要はない。
彼らには彼らの暮らしがある。
巣を守ることもあれば、食べ物を探していることもある。
そこへ僕が不用意に近づけば、向こうにとっても迷惑だろう。
それでも、たまに思う。
蜂は、どうしてあんなに格好いいのだろう。
特にスズメバチは、見るからに強そうだ。
あの姿で空を飛んでいるのだから、なかなか反則だと思う。
もちろん、だからといって近くで観察したいとは思わない。
格好いいものは、離れたところから眺めても格好いい。
黒い服は、やめない。
さて。
そんな僕が、なぜ全身黒い服を着続けているのか。
答えは単純だ。
黒が好きだから。
白い服を着れば、蜂に対する警戒を多少減らせる場面はあるかもしれない。
でも、そのために普段着をすべて買い替えたいとは思わない。
代わりに、スズメバチが活動する季節には、危険のありそうな場所へ近づかないようにする。
散歩の道を変えることもある。
季節によっては、自然の多い場所で過ごす時間を減らすこともある。
黒い服を着ていること以外にも、気をつけられることはあるのだ。
もっとも、気をつけていても、気づかずに巣へ近づいてしまう可能性はある。
だから、過信はしない。
好きな色を着る自由と、安全でいられる保証は別の話だ。
それでも、黒い服を着ることが、今の僕には一番しっくりくる。
すべての問題を服装だけで解決しなくてもいいと思っている。
僕が自分の好みを持っているように、蜂にも蜂の事情がある。
どちらかが悪いわけではない。
ただ、お互いの都合がぶつからないように気をつける。
それくらいの距離感が、ちょうどいい。
どうぞ、お先に。
春先に大きなスズメバチを見かけると、僕は少し嬉しくなる。
季節が進んでいることを感じるからだ。
生き物が動き出し、草木が育ち、また夏が近づいてくる。
そうした変化を、散歩の途中で見つけるのが好きだ。
ただし、スズメバチが近くにいるなら話は別である。
夏の訪れを喜ぶのは、少し離れてからでいい。
僕は、いつもと変わらない黒い服を着ている。
向こうが僕をどう思っているのかは分からない。
願わくば、何とも思わないでいてほしい。
僕も、危害を加えるつもりはない。
だから、どうか。
お互い何事もなく、すれ違いたい。
そのためなら、道くらい譲ろう。
どうぞ、お先に。
僕は、そちらへ行かないので。