仕事。|自分の時間を、自分で決めるために。

僕にとって、仕事。は労働そのものではない。

どう働くか。
どれくらい働くか。
どう効率化するか。

そういう話は、僕の中では「労働。」に近い。

仕事。で考えたいのは、もう少し手前にある。

僕は、何のために働くのか。

ということだ。

そして今の僕は、仕事を大きく二つに分けて考えている。

ライスワークと、ライフワークだ。

ライスワークとライフワーク。

ライスワークは、暮らすための仕事。

家賃を払い、食べ、生活を維持するために必要な現金を得る。

僕にとって現在の雇用は、基本的にこちらにある。

一方でライフワークは、人生の中で育てていきたい仕事だ。

今の僕なら、文筆がそこに近い。

余暇。の中で考え、創作。として文章を書き、それをサイトに植えて育てる。

やがて、それが冊子や本になるかもしれない。

誰かがそれを手に取り、対価を払ってくれれば、そこには価値交換が生まれる。

その時、創作。は仕事。にもなる。

ただし、僕はライフワークをライスワークにはしたくない。

創作。を仕事。にはする。でも、ライスワークにはしない。

僕は、創作から収益が生まれることを嫌っているわけではない。

むしろ、作品が自分の代わりに働いてくれる状態は理想に近い。

でも、その収益で家賃を払うつもりはない。

食費も、光熱費も、基本的には背負わせたくない。

理由は単純で、ライフワークの収益はいつなくなるか分からないからだ。

売れていた本が突然売れなくなるかもしれない。

サイトから収益が出ていても、環境が変わるかもしれない。

自分自身が、その創作をしばらく休みたくなる時もあるかもしれない。

そこに生活費を背負わせると、

「何を書きたいか」

ではなく、

「何を書けば売れるか」

が強くなる。

僕はそれを避けたい。

だから、

創作。は仕事。にはする。
でも、生活を支える責任までは背負わせない。

という距離感でいたい。

余剰は、分身に渡す。

僕は昔から、自分一人だけが働く状態をあまり好んでいない。

もっと正確に言えば、

自分の時間を売らなければ何も生まれない状態に、依存したくない。

という感覚がある。

だから、自分の代わりに働いてくれるものを「分身」のように考えている。

作品もそうだ。

一度つくった本や文章が、僕が散歩している時にも誰かに届く。

自動販売機のような商売も同じだと思う。

そして今の僕が、最も強固な分身だと考えているのがインデックス投資だ。

僕はeMAXIS Slim 全世界株式、いわゆるオルカンに積み立てている。

ライフワークから収益が出たとしても、必要経費を除いた利益は、基本的にすべてそこへ送るつもりだ。

ライスワークで手当やボーナスが出た時も同じ。

余剰を生活水準の引き上げに使うより、分身を強くする。

そうすることで、お金が今度は僕の代わりに働く。

創作する。

作品が働く。

収益が生まれる。

そのお金が、また働く。

僕自身が働き続けなくても、少しずつ複数の分身が動く状態をつくっていきたい。

昔は、スキルが分身だった。

以前の僕は、収入を上げるならスキルを身につけることが一番有効だと考えていた。

実際、プログラミングを学んだ時期もある。

今でも、スキルが重要ではないと思っているわけではない。

ただ、AIが急速に発達している今を見ると、少し考え方が変わった。

デジタル領域のスキルは、変化があまりにも速い。

今強いものが、数年後も同じ強さを持っているとは限らない。

だから最近は、

AIを使えること。

身体でできること。

そして、自分が本当にやりたいこと。

この三つに時間を振った方がいいのではないかと考えている。

収入を上げるためだけに、流行しているスキルを追い続ける。

以前の僕は、その方向を見ていた。

今は少し違う。

自分をもっと高く売ることより、自分を売らなくても回る状態をつくること。

そちらに興味が移っている。

農業も、同じところにつながっている。

僕は昔から農業に関心があった。

幼少期に触れた経験もあるし、単純な憧れもあった。

けれど、2010年頃に進路を考えていた頃の僕は、

「農業では現実的に稼げないだろう」

と考えた。

だから普通のサラリーマンの道を選んだ。

当時は、今のようなAIやロボットの時代は、まだ夢物語に近かった。

働いて稼ぐなら、自分の市場価値を上げる。

それが現実的に見えていた。

でも今は、農業への関心が以前より強くなっている。

理由の一つは、

自分でつくれば、その分だけ現金を使わなくても済む。

ということに気づいたからだ。

米や野菜をある程度自分でつくる。

もちろん、機械代もかかる。

資材もいる。

労働負担もある。

単純な費用対効果だけ見れば、買った方が安いものも多いだろう。

それでも、自分で暮らしの一部をつくれるということには価値があると思っている。

現金を稼ぐだけが仕事ではない。

現金を使わなくても済む状態をつくることも、僕にとっては同じ方向にある。

農業は、ライスワークとライフワークの中間くらいになりそうだ。

繁忙期には農業をする。

閑散期には短期雇用で働く。

あるいは、ライフワークの土壌ができていれば、クライアントワークを単発で受けてもいい。

創作。に集中する時期があってもいい。

一つの職業に自分を固定するより、その時々で自分で配分を決められる状態が理想に近い。

僕は、ライスワークをなくしたいわけではない。

ライスワークは必要だと思っている。

少なくとも、完全にFIREできるほどの状態にならない限り、僕はライスワークを切らないと思う。

そして仮にFIREしていたとしても、資産が数十億円あるような状態でもない限り、娯楽やキャンプ、ご馳走のような贅沢費くらいは、少し働いて稼ごうとする気がする。

僕にとって重要なのは、

ライスワークをゼロにすることではなく、ライスワークへの依存を減らすこと。

だからだ。

生活費を投資資産の定率取り崩しで賄えて、さらに余剰まで出る。

そこまで行けば、生活のためのライスワークは必要なくなる。

でも、何か欲しいものがあれば、その分だけ働いてもいい。

キャンプに行きたいから、少し働く。

美味しいものを食べたいから、少し働く。

そういう労働なら、僕は別に嫌ではない。

必要な労働だけをする。

現職でも、僕は正社員にならないかと誘われることがある。

フルタイムで働いてほしいとも言われる。

僕は、それを「もっと仕事をしてほしい」とは捉えていない。

むしろ、

「もっと長い時間、現場にいてほしい」

という意味に近いと思っている。

実際、僕は同僚より多くの仕事を任されているし、担当している領域も広い。

時給に見合っていないと周囲から言われることすらある。

でも、僕にとって今の勤務体系は、心地よさの最低ラインに近い。

正確には、少し超えている。

土曜日に三時間だけ余分に働いているからだ。

ただ、その三時間には目的がある。

僕にとっては贅沢費を稼ぐための労働だ。

だから、受け入れられる。

僕は、目的のない労働が苦手だ。

会社では、

「指示されたから」

「昔からそうだから」

「みんなやっているから」

という理由だけで続いている仕事がある。

僕は、そういう状態がかなり苦手だ。

現場で変えて問題がないなら、変えればいいと思う。

実際、僕が以前から代案を出していたことが、数年後になって正式な改善案として降りてきて、呆れたこともある。

組織である以上、変化に時間がかかることは分かる。

でも、変えたがらない。

その一方で、現場では愚痴だけが増えていく。

そういう状態には、今でも嫌気が差す。

不毛なタスクが増えると、僕はすぐに効率化や代案を考える。

伝達し、交渉する。

たぶん僕は、効率そのものが好きなのではない。

意味の薄いことに、自分の時間を奪われるのが嫌なのだ。

何のために働いているのか。

職場には、僕より給料の多い正社員もいる。

ただ、仕事のストレスからなのか、休日にギャンブルや散財をして、給料日前になるとかなり質素な生活をしている人もいる。

本当にそうなのかは分からない。

そして、その人がギャンブルや散財そのものを心から楽しんでいるなら、それはそれでいいと思う。

僕が決めることではない。

ただ、もし、

働く。

疲れる。

使う。

お金がなくなる。

また働く。

という循環になっているのだとしたら、

僕には、

何のために働いているのだろう。

と見えてしまう。

だから僕は、自分が働く理由をできるだけ明確にしていたい。

生活費のため。

投資のため。

贅沢のため。

欲しいもののため。

理由は何でもいい。

ただ、漠然と働き続けることだけは、できれば避けたい。

お金は、時間だと思っている。

僕にとって、お金は時間に近い。

もちろん、お金そのものが時間なわけではない。

でも、お金があれば、働かなくてもいい時間をつくれる。

投資資産があれば、未来の労働時間を減らせる。

農業で食をつくれれば、その分の現金を稼ぐための時間を減らせる。

作品が収益を生めば、自分が働いていない時間にも価値が生まれる。

AIで作業を効率化できれば、同じ成果に必要な時間を減らせる。

僕が増やしたいのは、選択肢の数ではない。

自分で選択できる時間だ。

働く。

創作する。

本を読む。

散歩する。

キャンプへ行く。

何もしない。

その時の自分が何をしたいのかを、自分で決められる時間。

僕にとっては、それが一番の贅沢だ。

高級な暮らしをしたいわけではない。

今の理想の暮らしが、すでに僕にとっては十分に豪遊なのだと思う。

だから、もっと稼いで生活を膨らませたいわけではない。

必要なお金は得る。

余剰は分身に渡す。

そして少しずつ、自分の時間を取り戻す。

仕事。は、時間を守るためにある。

僕は、労働をなくしたいわけではない。

働くことそのものが嫌いなわけでもない。

自分で選び、自分で決められるなら、むしろ働くことは嫌いではない。

嫌なのは、

生活のために、働き続けなければならない状態に支配されること。

だから僕は、

ライスワークで現在を守る。

創作。からライフワークを育てる。

余剰は投資へ送り、分身を増やす。

暮らしの一部は、できるなら自分でつくる。

そうやって、自分一人の労働収入だけに依存しない状態へ少しずつ近づいていきたい。

僕にとって仕事。とは、

たくさん稼ぐためのものではない。

自分の時間を、自分で決められる状態をつくるためのもの。

今は、そう考えている。