設計。|途中。を打つ為の営み。

僕は、暮らしを完成させたいわけではない。

その時々の自分にとって、
いちばん無理なく回る形を探している。

そして、
現段階で納得できる形が見つかったら、
そこに一度、途中。という楔を打つ。

僕にとって設計。とは、
その楔を打つ為の営みなのだと思う。

最小化。で足るを知る。

僕はまず、
自分にとっての最小を知ろうとする。

これは最小化。だ。

ただ減らしたいわけではない。

どこまで減らしても、
僕の暮らしは成立するのか。

何があれば足りるのか。

その境界を知りたい。

たとえば服なら、
私服は二着あれば着回せる。

僕は毎朝洗濯するから、
寝衣も一着あれば回せる。

つまり、
暮らしそのものは三着でも成立する。

ここが僕にとっての、
ひとまずの足る。になる。

けれど、
最小だけで暮らしたいわけでもない。

私服を三着にすると、
余裕が生まれる。

洗濯物が乾かなかった時にも使えるし、
寝衣の代わりにもできる。

だから今の僕は、

私服三着。
寝衣一着。

合わせて四着を、
ちょうどいい構成としている。

反対に、
私服を四着、五着と増やしても、
僕の場合は結局あまり使わない。

増やした分だけ、
収納や管理するものが増えていく。

僕にとっては、
私服二着が成立する最小で、
三着あたりが恩恵の大きい地点になる。

そこに寝衣一着を加えた四着が、
今の暮らしでよく回る構成だ。

最小を知っているからこそ、
どこから先が余分なのかも見えてくる。

最大化。で恩恵を見る。

最大化。は、
たくさん持つことではない。

自分にとっての最小を知った上で、
どこまで増やせば恩恵が大きくなるのかを見ることだ。

私服は二着でも暮らせる。

だからこそ、
三着目は必要ではなく、
余裕を得る為に足した一着だと分かる。

そして、
それ以上は僕には要らないとも判断できる。

最小化。によって足るを知らなければ、
最大化。は際限なく広がっていく。

もっと便利に。

もっと安心に。

もっと高性能に。

いくらでも増やすことができてしまう。

だから、
僕にとって最大化。は、
最小化。の反対ではない。

最小化。によって足るを知っているからこそ、
最大の恩恵が得られる地点も分かる。

単純化。で回る形に整える。

もちろん、
少ない枚数で服を回せば、
一着あたりの使用頻度は高くなる。

洗濯する回数も増え、
劣化も早くなる。

だから僕は、
服を機能性だけでは選ばない。

買い直せる価格なのか。

同じものをリピートできるのか。

通年、
あるいは長い期間、
安定して手に入るのか。

そういうことも重視する。

少ないものを、
何が何でも長く使い続けるのではない。

少数の精鋭。を、
必要になれば交換しながら循環させていく。

ここでは、
最小化。だけではなく、
精鋭。や円楯。も同時に働いている。

そして、
それらを暮らしの中で扱いやすい形へ整える。

役割を兼ねる。

選択肢をまとめる。

仕組みを一本化する。

管理する対象を少なくする。

服なら制服化する。

キャンプ道具なら、
日常や防災でも使えるものを選ぶ。

仕事なら、
暮らしを守るという役割を果たしながら、
必要以上に時間を渡さない方法を考える。

サイトなら、
新しいページを増やし続けるのではなく、
既存の箱へ情報を入れ、
密度が高くなれば昇格させ、
重なれば統合する。

分野は違っていても、
僕がしていることはよく似ている。

増やして解決する前に、
組み替えて解決できないか考える。

これが単純化。なのだと思う。

思想は、僕の暮らしに合わせて組み替える。

僕は昔から、
遊戯王のようなカードゲームが好きだった。

一枚の強いカードだけで戦うより、
カード同士の効果を組み合わせたり、
融合させたりして、
一つの流れを作ることが好きだったのだと思う。

今の僕の考え方も、
それに少し似ている。

僕はミニマリズム。から、
最小化。のヒントをもらった。

シンプリズム。から、
単純化。を考えた。

マキシマリズム。から、
最大化。を考えた。

そして、
最適化。には、
禅。から受け取ったものが多い気がしている。

ただし、
どれもその思想をそのまま採用しているわけではない。

僕はミニマリストになりたいわけでも、
マキシマリストになりたいわけでも、
禅の教え通りに暮らしたいわけでもない。

どれも、
僕にとっては「的な」ものだ。

良いとこどり、
というより、

僕が良いと思ったところどり。

本に書かれていたこともあれば、
漫画やアニメ、
映画の登場人物から受け取ったものもある。

仕事をしていて気づいたこともあるし、
失敗した暮らし方から学んだこともある。

どこから得た考えであっても、
一度そのまま自分の中へ入れて、
暮らしに使える形へ組み替えてみる。

合わなければ外す。

別の考え方と組み合わせた方が良ければ、
融合させる。

そうやって長い時間をかけて調整してきた結果が、
今の僕の思想。なのだと思う。

思想を集めたというより、
思想を素材にして、
僕の暮らしで使える形へ合成してきた。

最適化。は、現段階を定めること。

最小化。

最大化。

単純化。

これらを一度やって終わりにはしない。

何度も循環させる。

自分にとっての最小を知る。

そこから得られる最大の恩恵を考える。

複雑になったものを、
単純な形へ整える。

そして、
その時の僕にとって、
いちばんよく回る地点を探す。

それが最適化。なのだと思う。

ただし、
最適化。も完成ではない。

暮らしも変わる。

環境も変わる。

僕自身も変わる。

だから、

「これが最適解だ。」

ではなく、

「今はこれでいく。」

くらいがちょうどいい。

そこで、
途中。という楔を打つ。

暮らし。で試して、また設計。へ戻る。

途中。を打った設計は、
実際の暮らし。へ反映される。

そして、
暮らしてみる。

すると、
考えているだけでは分からなかったことが返ってくる。

これは少なすぎた。

これは余っていた。

思ったより便利だった。

この兼用は無理があった。

以前は必要だったけれど、
今はもう要らない。

そういう日々のフィードバックを受けて、
また設計。へ戻る。

だから僕にとって、
途中。は未完成の印ではない。

現段階の考えを、
一度暮らしへ実装する為の楔だ。

楔を打つから、
試すことができる。

試すから、
次の設計材料が手に入る。

設計。で考え、
途中。で定め、
暮らし。で試し、
また設計。へ戻る。

この循環を、
僕はずっと繰り返しているのだと思う。

知足。と途中。があるから、設計。できる。

その根には、
知足。と途中。がある。

知足。があるから、
どこまであれば足りるのかを考えられる。

途中。があるから、
永久の正解を求めなくていい。

もしこの二つがなければ、
最小化。は減らすこと自体が目的になり、
最大化。は際限なく増やす方向へ向かい、
最適化。は終わらない正解探しになってしまうかもしれない。

僕は、
何か一つの思想に人生を合わせたいわけではない。

自分の暮らしをよく見ながら、
使えるものを拾い、
組み替え、
融合し、
実際に回してみる。

今の僕に合わなくなれば、
またデッキを組み直せばいい。

そうやって、
現段階でいちばん納得できる形を探していく。

僕にとって設計。とは、
理想の暮らしを完成させることではない。

自分にとっての足るを知り、
そこから得られる恩恵を見極め、
できるだけ単純な形へ整えながら、
今の自分に合う暮らしを探し続けること。

そして、

「今はこれでいく。」

と、
途中。という楔を打つ為の営みなのだと思う。