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車を手放して、自分の足る。を知った。

足る。を知ることは、
結果的に節約になることが多い。

結果的に、
ミニマリズム的にもなることが多い。

けれど、
僕にとって足る。は、
節約そのものでも、
ミニマリズムそのものでもない。

足る。とは、
暮らしにおける必要と欲望を仕分けることだ。

自分にとって、
何が本当に必要なのか。

何は欲望として楽しめばいいものなのか。

何は、
そもそも自分の暮らしには要らなかったのか。

それを認知することだと思う。

人それぞれに、
足る。は違う。

車が必要な人もいる。
車が余暇。になる人もいる。
家を持つことで安心する人もいる。
広い家が暮らしに必要な人もいる。

だから、
車や家そのものが悪いわけではない。

問題は、
それが自分の足る。なのかを考えないまま、
外側の常識として受け取ってしまうことだと思う。

今は、
WEBやSNSによって、
自分の足る。を越える世界が、
あまりにも身近になり過ぎている。

他人の暮らし。
他人の持ち物。
他人の収入。
他人の家。
他人の旅。
他人の趣味。
他人の成功。

そういうものが、
毎日のように目に入ってくる。

すると、
自分の暮らしの器ではなく、
他人の器を基準にしてしまう。

本当は足りているのに、
足りないように感じる。

本当は必要ではないのに、
必要なもののように見えてくる。

僕自身も、
昔はそうだったと思う。

サラリーマン時代は、
マイカーを買って、
いつかマイホームを買うのが当たり前だと、
漠然と考えていた。

周りの知人や友人とも、
そういう話をよくしていた。

テレビや雑誌の影響もあったと思う。

当時は、
今ほどWEBやSNSが世間的に広がっていたわけではない。

それでも、
時代の空気や周囲の価値観によって、
ある種の当たり前は作られていた。

働いて、
車を買って、
家を買って、
家庭を持って、
ローンを組んで、
さらに働いていく。

それが普通の人生なのだと、
どこかで思っていた。

実際に、
僕は車を買った。

けれど、
使っていくうちに気づいた。

僕は、
運転がそれほど好きではなかった。

そして、
自分の住んでいる場所では、
車がなくても何不自由なく暮らせた。

買う前は、
必要なもののように見えていた。

けれど、
実際に持ってみると、
それは僕の暮らしにとって、
そこまで必要なものではなかった。

むしろ、
維持費がかかる。

保険料がかかる。
税金がかかる。
車検がある。
ガソリン代がかかる。
駐車場代がかかる。
メンテナンスも必要になる。

持っているだけで、
お金が流れていく。

僕にとって車は、
いつの間にか、
ただの金食い虫に成り下がっていた。

だから、
手放した。

この経験は、
かなり大きかったと思う。

物には、
買うときの値段だけではなく、
持ち続けるためのコストがある。

所有には、
ランニングコストがある。

お金だけではない。

管理する手間。
置く場所。
気にかける時間。
壊れたときの対応。
使わなければいけないような感覚。

そういうものも含めて、
所有コストなのだと思う。

車を手放したことで、
僕はそれを強く意識するようになった。

今思えば、
あれは足る。に気づくきっかけの一つだった。

大きな出費だった。

けれど、
良い勉強代だったとも思っている。

持ってみなければ、
分からなかったことがある。

自分には何が必要で、
何が必要ではないのか。

世間の当たり前と、
自分の暮らしの当たり前は違う。

他人の足る。と、
自分の足る。は違う。

そのことを、
車は教えてくれた。

だから今は、
何かを欲しいと思ったとき、
少し立ち止まる。

これは必要なのか。

それとも欲望なのか。

持つことで、
暮らしは軽くなるのか。

それとも、
持ち続けるために、
暮らしが重くなるのか。

そう考えるようになった。

足る。を知ることは、
欲望を否定することではない。

自分の暮らしに合わない欲望を、
必要のふりをさせないことだ。

車を買ったことも、
車を手放したことも、
僕にとっては失敗ではなかった。

それは、
自分の足る。を知るための経験だった。

そして今の僕は、
車がない暮らしで十分に足りている。