足る。を知る。
僕にとってそれは、
暮らしにおける必要と欲望を仕分けることだ。
必要とは、
暮らしを成立させるためのもの。
食べること。
眠ること。
体を整えること。
住む場所を保つこと。
生活を守るだけの収入を得ること。
これらは、
暮らしの土台になる。
一方で、
欲望とは、
暮らしの上に乗る刺激だと思う。
新しいものが欲しい。
どこかへ行きたい。
もっと良いものを使いたい。
もっと美味しいものを食べたい。
もっと自由になりたい。
これらは、
悪いものではない。
むしろ、
生きる楽しさでもある。
けれど、
必要と欲望が混ざると、
暮らしは苦しくなる。
欲望を必要だと思い込むと、
持たなくても成立するものまで、
持たなければいけないものに見えてくる。
必要以上に稼がなければいけない。
必要以上に働かなければいけない。
必要以上に買わなければいけない。
必要以上に整えなければいけない。
そうして、
暮らしの土台を守るためだったはずの行動が、
いつの間にか暮らしを圧迫していく。
足る。を知ることは、
欲望を捨てることではない。
欲望を、
必要のふりをさせないことだ。
これは必要なのか。
それとも欲望なのか。
その問いを持つだけで、
暮らしの輪郭はかなりはっきりする。
白米と味噌汁で足りている。
そう認知できれば、
高い食事は必要ではなく、
楽しみとして選べる。
短時間の労働で生活が成立する。
そう認知できれば、
必要以上に働くことは、
土台ではなく欲望の領域として見直せる。
服も、道具も、住まいも、趣味も同じだ。
必要なものは、
暮らしを支える。
欲望は、
暮らしを彩る。
この二つを混ぜないこと。
それが、
僕にとっての足る。を知る。なのだと思う。
足る。は、
諦めではない。
欲望を殺すことでもない。
必要を見極め、
欲望を欲望として扱うための認知である。
だからこそ、
足る。を知るほど、
暮らしは小さく閉じるのではなく、
むしろ自由になる。
必要に縛られず、
欲望に呑まれず、
自分の暮らしの上で、
何を選ぶかを決められるようになる。
その状態こそ、
僕にとっての足る。なのだと思う。