白米と味噌汁で足りている。
この感覚は、
かなり大事だと思っている。
もちろん、
毎日それだけでいいという意味ではない。
魚も食べたい。
卵も食べたい。
納豆も食べたい。
サラダも食べたい。
たまには唐揚げも食べたい。
けれど、
暮らしの土台として考えるなら、
白米と味噌汁があるだけで、
かなり満ちている。
温かい米がある。
汁物がある。
塩気がある。
腹が満ちる。
体が落ち着く。
それだけで、
暮らしはかなり整う。
食事を豪華にすることは楽しい。
けれど、
豪華さがないと満たされない状態は、
少し危うい。
毎日の食事に、
常に刺激を求めるようになると、
普通の食事を普通に受け取れなくなる。
本当は十分なのに、
物足りないと感じてしまう。
白米と味噌汁で足りている。
そう思えることは、
食事の選択肢を狭めることではない。
むしろ、
食事の土台を強くすることだと思う。
土台があるから、
たまの外食も楽しめる。
土台があるから、
少し良い食材も楽しめる。
土台があるから、
刺激を刺激として味わえる。
足りないから食べるのではなく、
足りている上で味わう。
この違いは大きい。
白米と味噌汁は、
僕にとって、
足る。を認知するための象徴なのかもしれない。
派手ではない。
特別でもない。
けれど、
確かに暮らしを支えている。
そういうものを、
ちゃんと満ちているものとして受け取れるか。
そこに、
暮らしの強さがあると思う。