足る。を知らなければ、
満たされていることにも気づけない。
これは、
最近かなり強く思うことだ。
人は、
足りないものには敏感だ。
お金が足りない。
時間が足りない。
評価が足りない。
経験が足りない。
道具が足りない。
まだ自分には何かが足りない。
そういう感覚は、
すぐに立ち上がってくる。
けれど、
すでに足りているものは、
なかなか見えない。
毎日食べるものがある。
眠る場所がある。
体が動く。
歩ける。
読める。
考えられる。
好きなことに触れられる。
これらは、
あまりにも日常に溶けている。
だから、
満たされているものとして認識しにくい。
僕は、
足る。とは、
この見落としているものを認知することだと思っている。
少ないもので我慢することではない。
今あるものを、
ちゃんと見ること。
すでに満ちている部分を、
満ちていると認めること。
それができないまま、
新しいものを足し続けても、
多分ずっと足りないままだと思う。
なぜなら、
器の中身を見ていないからだ。
本当はもう入っているのに、
空っぽだと思い込んで、
外から何かを注ぎ続けてしまう。
そして、
こぼれていることにも気づけない。
足る。を認知することは、
自分の暮らしの現在地を知ることでもある。
何があるのか。
何が足りているのか。
何が本当に必要なのか。
何はもう要らないのか。
それを知るための、
最初の視点が足る。なのだと思う。
幸福は、
未来にだけあるわけではない。
今の暮らしの中に、
すでに含まれているものでもある。
それに気づくために、
足る。を認知する必要がある。