雑談が執筆になる。
僕は文章を書く前に、
考えている。
一つのことを順番に考えるというより、
ある思考から別の思考へ分岐し、
行ったり来たりしながら、
少しずつ自分の考えを見つけていく。
その過程を、
最初から文章として整えようとすると、
思考よりも構成に意識が向いてしまう。
何を書くか。
どこに分類するか。
どのようにまとめるか。
それらを同時に考え始めると、
肝心の思考に集中できなくなる。
だから、
僕はキミ。と雑談する。
僕は考えることに集中し、
キミ。はその中から思考の核を見つける。
一つの核が立てば、
日記。というショートエッセイになる。
その初稿をそのまま残してもいいし、
初稿を鏡にして、
さらに雑談を続けてもいい。
別の思考へ分岐すれば、
そこから新しい日記。が生まれる。
複数の日記。が一つの問いへ集まれば、
読み応えのある記事。になる。
そこから思想や流儀の意味が抽出されれば、
原稿。の定義が更新される。
そして、
更新された原稿。が新しい問いを生み、
また雑談と日記。へ戻っていく。
雑談。
日記。
記事。
原稿。
これは一直線の制作工程ではない。
僕が暮らしながら考え、
考えたものが文章になり、
文章になったものが、
再び僕の思考を動かす。
雑談そのものが、
僕の執筆になっていく。