観測。は、知足。の入口でもある。
まず、自分の暮らしを観る。
何に満ちるのか。
何に疲れるのか。
何になら歩けるのか。
何にお金を払いたいのか。
何にはもう反応しないのか。
善悪や一般論で判断する前に、
まず観測する。
あんドーナツの話も、
白米の話も、
塩パスタの話も、
都心で商業施設に興味が湧かなかった話も、
すべて観測だった。
その観測の先に、
知足。が見えてくる。
自分は何で足りているのか。
何があれば満ちるのか。
何はもう要らないのか。
暮らしの多くは、
知足。で決まる。
暮らしは、
何を増やすかよりも、
何で足りると知るかで決まる。
白米が美味いと、
ふりかけは贅沢になる。
塩パスタが美味いと、
ペペロンチーノはご馳走になる。
散歩が楽しいと、
移動そのものが余暇になる。
あんドーナツひとつで嬉しいと、
都心は消費の遊園地ではなく、
小さな目的地になる。
知足。は、
少なくて我慢することではない。
足りているものを、
足りていると認識すること。
そのために、
まず観る。
自分の暮らしを観測する。