外食は美味しい。
でも、
毎日は重い。
金銭的にも。
価値観的にも。
舌的にも。
結局、
ご飯、味噌汁、納豆、魚料理、サラダが
最高に美味い。
悪く言えば貧乏舌。
でも、
日常食をちゃんと美味しいと思えるなら、
贅沢の幅は広くなる。
白米が美味いと、
ふりかけは贅沢になる。
白米そのものが美味い。
だから、
ふりかけは必須ではない。
なくても食べられる。
なくても満ちる。
でも、
あると嬉しい。
つまり、
ふりかけは救済ではなく娯楽になる。
ベースで満ちているから、
足すものが全部加点になる。
これは塩パスタでも同じだった。
大谷翔平選手が食べていると知って、
試しに塩パスタを食べた。
最初は、
修行飯のようなものを想像していた。
でも、
普通に美味くて笑った。
塩パスタは、
白米に塩を振って食べることに近い。
主食そのものが美味い。
塩で輪郭が立つ。
白米は小粒感を味わう。
パスタは啜る。
味の構造は近いけれど、
身体感覚が違う。
その違いが楽しい。
塩パスタが美味いと気づくと、
ペペロンチーノやミートスパゲッティは
ご馳走になる。
今まではデフォルトだったものが、
加点として立ち上がる。
白米が美味いと、
ふりかけは贅沢になる。
塩パスタが美味いと、
にんにくや唐辛子や肉やトマトは
ご馳走になる。
プレーンを美味いと思える身体には、
たくさんの贅沢が残されている。
これは趣味にも言える。
散歩。
読書。
ギター。
筋トレ。
公園で食べるあんドーナツ。
大きなお金を使わなくても、
十分に楽しいものがある。
本来は娯楽として足されたものが、
常駐化すると必需品になる。
ふりかけも、
スナックも、
外食も、
サブスクも、
刺激も、
同じ構造を持っている。
本来の贅沢品が一般化すると、
もっと濃いもの、
もっと高いもの、
もっと珍しいものが欲しくなる。
だから、
デフォルトはプレーンに戻す。
白米は白米。
パスタは塩パスタ。
ふりかけは贅沢。
高級ふりかけは高級品。
足すものを、
不足の補填ではなく、
贅沢として味わう。
ただ、
これは決めたというより、
そうなっていた、に近い。
節約しようとして、
ご飯と味噌汁に落ち着いたわけではない。
低コストに暮らそうとして、
散歩やギターを選んだわけでもない。
ミニマリストになろうとして、
商業施設に興味をなくしたわけでもない。
気づいたら、
それで満ちていた。
先に暮らしがあった。
その暮らしに、
あとから精鋭。円楯。余暇。知足。途中。
という名前がついた。